麦飯

 大坂冬の陣の最中、徳川家康は麦飯を食べたくなかったが、陣中には麦がなかった。そのため近隣まで使いをやって麦を探させたが、どこの村も乱を避けて人がおらず麦などの穀物などはなかった。使者は仕方なく八尾まで行き、地元の庄屋の惣右衛門に事情を話して精麦(せいばく、麦を精白したもの)5石をもらった。惣右衛門は使者と本陣に同行し、役人から
『早々に精麦5石を献上したこと感謝する。あとでご褒美がある』
 という書付をもらった。
 翌年の五月、八尾周辺に徳川軍が進軍してきて乱暴狼藉を働いたため、近隣の村々はことごとく逃げ出したが、惣右衛門の地区は彼の下知でみんな逃げなかった。惣右衛門が長い棒を立ててその上に葵の紋をつけて馬印のように立てたため、徳川軍はそれをはばかって入ってこなかったからだ。
 しかしそれでもガラの悪い連中は村に入り、葵の紋の理由を聞いた。そこで家康に麦を献上したことを話し
「なんなら書付も見せるが」
と言うと、さすがに彼らも引き下がったという。(『浪速全書』)

UPDATE 2011年11月29日
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