又兵衛の意見

 大坂冬の陣の後半、徳川軍は大砲を大坂城天守に向かって打ちこんでいたが、なかなか当たらなかった。そこで堺より鉄砲の名人を呼んで天守を狙わせると、見事命中し天守の柱を一本打ち倒し西の丸に傾いた。淀殿はこれに驚き、豊臣秀頼に和議を進めたが、秀頼は難色を示した。大野治長はこれを受け広間に組頭を集めて協議をした。
 後藤基次が進み出て、皮肉を交えて発言した。
「もし近いうちに徳川軍の総攻めがあれば、我々は討ち死にする。もし和議になれば篭城している我々は切腹させられるだろう。どちらにしてもお役に立つのは同じことなので心配はありません。秀頼様の気遣い(秀頼が和議に反対だった理由の一つに和議後の浪人達のことを心配していたというのがあった)は無用で、ただ家康の身の安全を願うばかりである」
 他の者も基次の意見に賛成したため、治長は淀殿に申し上げて検討している。(『慶長見聞記』)

後藤又兵衛の槍と鎧
松江城にある又兵衛の槍と鎧

UPDATE 2005年11月3日
Copyright (C) 2005 Tikugonokami.