勘違いもほどほどに

 大坂冬の陣の際、薩摩の島津軍が大坂に来るとの噂が立つ。そこで大坂の木津へ徳川家康の使番が遣わされることになった。(中略)この時に徳川秀忠の使番にも今後のためにと一緒に行くように命じられたが、いつまで経っても木津に来ない。後日、それを問われた秀忠の使番は「間違って大和の木津に行きました」と答えている。(『老士物語』)

木津川
大阪市内を流れる木津川

管理人・・・この後の文章は『使いなどを勤る者はよくよく心を入れるべきことなり』となっています。しかし、なんで大坂城を中心に戦っている上に島津は西から来るのに大和に行くんでしょうかーー; どう考えてもおかしいじゃないですか。昔もおっちょこちょいな人がいたんですね。
 ちなみに中略した部分には家康が使番に「船はこういうところに泊めるのがいい」という注意をしたことが書いてありました。原文はそれがメインのお話だったんですが、そっちがあまり面白くないのと、勘違いしたのがおかしくて本文をメインにしました。

UPDATE 2006年4月6日
Copyright (C) 2006 Tikugonokami.