陣所割り

 大坂の陣が勃発すると本多忠政は陣所を決める役目を仰せつかった。陣所が決まった頃、徳川軍の大名の一人・古田重治は陣所の受け取りに行こうとしたが病気だったため、家臣の原十兵衛を代わりに忠政のところに向かわせた。しかし十兵衛は陣所を見て難色を示した。
「このように悪い持ち場では主君に聞かないと受け取れません。しかしクジでこの場所が決まったのなら今すぐ受け取ります」
「私は大御所様から役目を仰せつかっているのだ。勝手なことは許さん」
 忠政は十兵衛を怒鳴りつけた。しかし十兵衛は譲らない。
「どのようなことを言われても納得できません」
 そこで同席していた分部光信が「陪臣の者が忠政殿に意見するとは不届きである」と十兵衛を叱りつけて黙らせた。
 しかしその後、忠政に対して「十兵衛は家のためを思ってのこと。どうか許してあげてください。そこで差し出がましいのですが、陣所割りの件は再考していただいた方が良いかと存じます」と提案した。そのため忠政は陣所割りを改めて行なっている。(『明良洪範』)

管理人・・・なぜ十兵衛が抗議したかというと、忠政が自分や知り合いの都合のいいように陣所を決めており、それを知ったからだそうです。しかしその陣所の再考のために忠政の弟・忠朝が都合の悪い陣所になったのかもしれません。

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