一番首

 今福の戦いで松浦弥右衛門は敵の首を獲り、掲げて城中に入ると、一番首として首帳に付けるよう豊臣秀頼の右筆・白井甚右衛門に頼んだ。しかし甚右衛門が渋った為、弥右衛門は怒って記すように責めたが、それでも記さなかった。
 すると、そこに浅部清兵衛も首を持って帰ってきた。
「戦場で最初に首を得たが、歩行立だったので遅れてしまった」
 甚右衛門は弥右衛門に向かって
「一番首は必ず議論になるから二つを見て一つを記すことが執筆の故実だ。急に決めるのは難しい」
 と風習を説明した後、首二つと二人の名前を記した。(『難波戦記』)

管理人・・・似たような話をどこかで聞いた記憶があります。一番首は評価が高かったため、戦場では揉めることが多かったのだと思います。

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