急がば回れ

 福知山城主・有馬豊氏は大坂の陣が起こると軍を率いて大坂へ向かい芥川まで来た。そこで重臣の稲次右近が豊氏に進言した。
「これから向かう三田の途中の賀茂の近くに、小坂というところがあります。ここは竹木が生い茂って伏兵を置くのに最適な場所です。そこを避けて神埼に回った方が良いかと思います」
 だが豊氏は早く到着して幕府の心象を良くしたかったので、その進言に難色を示した。その後、右近はいろいろと説いたが豊氏は納得してくれない。そこで右近は最後の手段に出た。
「このまま進めば軍に多大な被害が出て天下の笑い者になるでしょう。主辱められれば臣死す、と言います。私は先に死んで汚名を免れたいと思います」
 そう言って切腹しようとした。豊氏は慌てて止めて、進言どおりに進路を変更した。
 あとで分かったことだが、実際に豊臣軍は小坂に伏兵を置いて有馬軍を待ち構えていた。しかし通過しなかったため、無念の思いを残しながら引き返していた。この話を聞いた徳川家康は右近を褒めている。(『武徳編年集成』)

福知山城
豊氏の居城だった京都府福知山市内記5丁目にある福知山城

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