秀頼の決意

 大坂冬の陣が終わりかけていた頃、淀殿は徳川の大軍に囲まれて鉄砲を連日撃ちこまれたせいで弱気になっていた。
「もし秀頼に何かあったら困る。どうにかして秀頼の安全を確保しないといけない。たとえ人が住まない野原に移住してもいい」
 この発言を大野治長から聞いた秀頼は淀殿の意見を無視。
「女は思慮がないのでそうも思うだろう。私は敵がもし総攻撃してくれば、自分も城外に出て華やかに戦をして後世に名を残すようにしたいと考えている。戦は数の多寡で決まるものではない。兵の心を一つにするかしないかだ。これを味方の兵達に触れ回れ」
 治長が諸大将を集めて上記のことを話すと、皆は感激して涙を流した。
「君君たれば臣臣たり(主君に徳があれば家臣は忠義を尽くす)。誰が命を惜しむものですか。敵が総攻撃をしかけてきたら一矢を放って速やかに討ち死にします」
 このことにより豊臣軍の士気が上がっている。(『難波戦記』)

豊臣秀頼の首塚
京都市右京区嵯峨の清涼寺にある秀頼の首塚

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