旗奉行の心得

 1614年12月3日、三枝土佐守昌吉は徳川軍の本営に呼ばれて明日の旗奉行を仰せ付けられた。昌吉が役目を引き受けて出発すると、そこにいた太田善太夫吉正は立腹。
「三枝は何と心得てそのまま立ち去ったのだ。仮にも大事なことを仰せつかったのだ。まず最初に尋ねることがあろうだろう」
 吉正のそばにいた人がどういうことかと聞くと
「明日、旗を何時どこまで進ませるのかということを確認しておくことだ。これを聞かなかったら、どの場所に何時行っていいのか分からない。また旗ばかりが先に進めば先陣は必ず混乱し、兵が城際まで攻めてしまう可能性がある」
 と語った。
 果たして翌日、旗が早く進みすぎたために先陣の井伊直孝藤堂高虎松平忠直の軍勢が真田丸の攻防で危険な目にあっている。(『南山聞書・武徳編年書成』)

真田幸村像
大阪市天王寺区玉造本町の三光神社にある真田幸村像

管理人・・・直接の原因は真田幸村の罠にかかった前田利常軍を見て一緒に突っ込んでしまったのが原因なのでしょうが、旗奉行・三枝昌吉のミスが混乱に拍車をかけてしまったのでしょう。

UPDATE 2011年7月21日
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