誰が一番?

 野田・福島の戦いで九鬼守隆軍と向井忠勝軍は豊臣軍とぶつかり勝利した。この時、忠勝自身が敵船に乗り移り戦っていたが、そこに九鬼の船が横につけ兵士達が乗り込み
「九鬼軍一番乗り」
 と叫んだ。忠勝は大いに怒り反論。
「一番は忠勝だ。大将もいないのに一番と言えるのか」
 しかし九鬼の兵士達も負けずに抗議した。
「舟戦の法を知らないのですか。敵船を乗っ取って勝鬨を上げたのは我々です。旗を立てたのも誰もが見ている。一人で乗り込んで戦うのは匹夫の勇です。九鬼は舟手の大将なので匹夫の勇のような真似はせず敵を討つのに部下を使います。それに敵が負けたのはこちらの兵がたくさん乗り込んだので逃げ出したからです。それに乗じての働きは『驥尾(駿馬の尾。転じてすぐれた人の後ろの意)に付くハエ』『虎の威を借る狐』のようだ」

 激怒した忠勝は刀を抜き斬りかかろうとし、九鬼の兵士達も取り囲もうとした。そこで小浜政次と千賀嘉隆の二人が両方の仲裁に入った。
「九鬼は舟を乗っ取った。向井は自ら舟に乗って戦った。両方ともその功は莫大だ。しかしここは九鬼に譲るべきだ」
 この裁定に対して守隆は
「論ずるほどではない。敵の舟の1隻や2隻各々の判断で渡してもいい」
 と納得したので、この問題は終息した。(『難波戦記』)

九鬼守隆の墓
三重県鳥羽市鳥羽2丁目12−3の常安寺にある九鬼守隆の墓(左側)

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