大和郡山城

 大和郡山城は当初、大和に数多くある城の一つに過ぎなかった。しかし1580年に織田信長の命令によって筒井順慶が筒井城から移り本格的な城郭を築いてから近世の城としての歴史が始まった。その後、筒井氏は伊賀上野に移封になり、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長が大和・紀伊・和泉の大名の城主として入城し、大増築を行った。この時、石垣が足りなく奈良の大乗院の礎石なども運ばれたという記録が残るほどの大工事だった。
 そのおかげで100万石の太守にふさわしい立派な城が完成したが、秀長と養子・秀保が相次いで亡くなり、御家は断絶。そのため、五奉行の一人、増田長盛が移封されるが、関ヶ原の戦いで西軍につき、改易。その後は徳川幕府から派遣された奉行が管理を務めた。
 1615年4月、大坂夏の陣が起こると、豊臣軍は徳川軍を抑えるために大和郡山城に攻め込み落城した。大坂の陣が徳川軍の勝利で終わると戦功第二と賞された水野勝成が移封される。しかし彼も5年程しかおらず、備後の福山城に移封された。その後、松平・本多氏を経て、1724年に柳沢吉保が15万石の大名として移封され、そのまま明治維新を迎える。そして城は不要なものとして破却されたが、戦後、復元された。現在は大和郡山市の顔として、また桜の名所として有名です。

復元天守

復元天守:祭りのために復元されたものです。おそらく祭りが終わったら壊されるんでしょうね、、、TT 残念です。

多聞櫓

多聞櫓:これも復元されたものです。

東隅櫓

東隅櫓:元々は豊臣秀長の重臣・桑山一庵法印の屋敷がこのあたりにあったので、法印郭などと呼ばれていたが、柳沢氏の入城後に東隅櫓という名に代えられた。理由は分かりません。逆光が、、、。

石垣

石垣:さすがは元・100万石の太守の城。でかかったです。

柳沢神社

柳沢神社:藩祖・柳沢吉保が奉られています。ここにあった案内板に、「吉保は名君だったのに不当な評価をされている」と書いてありました。私はすっかり犬公方の手先かと、、、

天守閣跡

天守閣跡:う〜ん、特に感想はないです。

永慶寺山門

永慶寺山門:大和郡山城のすぐ近くにあります。この山門は城の門を移築したもので、唯一の遺構です。

大納言塚

大納言塚:秀吉を補佐した名将・豊臣秀長のお墓です。彼が大和郡山の基礎を築いています。願い事を言いながら、墓の前にあるところに持ってきた砂を入れて一部を持って帰り、願いが叶うと返しに行くと案内板に書いてありました。

春岳院

春岳院:秀長の菩提寺です。中には秀長の位牌などがありました。和尚さんはお忙しい方なので事前に電話で連絡をしておいた方がいいでしょう。秀長の画像があるそうですが、見せてもらうの忘れました。命日には秀長ファンの方が全国からたくさん訪れるそうです。

おまけ

おまけ:この後に行った春日大社です。大坂夏の陣の時に市民は豊臣軍から逃れるためこの裏の春日山に逃れています。

コラム:大和郡山城・大納言塚・春岳院はすべて近鉄郡山駅から歩いていけるところにあるので、セットで行くといいですよ(JRからでもいけないことはないです。大納言塚はちょっと遠いけど)。


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