大阪城周辺の史跡・平成14年度(1日目)

 久々にレポート形式で、、、。平成14年8月14日、大坂の陣を調べているのに、大阪に行って実地調査をしないとは何事だ!!と思い、大阪市へ出発(嘘です、本当はどこかに行きたかっただけ)。まず目指したのは通天閣。もちろん通天閣そのものの観光ではなく、ここから見ると大坂の陣の舞台が一望できると『日本の歴史の歩き方(日本実業出版社:外川淳)』に書いてあったからです。ビリケンを無視して大阪市内を見ると、、、。おお、書いてあった通りだ。大阪城から茶臼山までが眼下に。これで建物が無ければもっとばっちり確認できるのだが、誰に頼んでも無理だと思うので諦めました。

通天閣から見た大阪城

通天閣から見た大阪城:ビルに埋まってよく分からない。さて大阪城はどこでしょうか?

通天閣から見た真田山

通天閣から見た真田山:多分、真田山の辺りだと思う。

通天閣から見た茶臼山

通天閣から見た茶臼山:通天閣のすぐ前です。

 通天閣が終わったので続いては一心寺へ。ここには大坂夏の陣で奮戦しながらも毛利勝永によって戦死させられてしまった本多忠朝のお墓があります。通天閣からはすぐなので、歩いていきました。その途中、どこかで見たような神社が目の前に、、、。あれ〜、安居神社じゃん!!(ちなみに書真田幸村戦死の地です。知ってると思うけど)。 なんと一心寺と安居神社は道を挟んでお向かいさんだったんですね〜。そういや、この辺りに前来た時に立派な寺があるなあって思ってましたが、あれが一心寺だったのね。抜けてると同じところに何度来ても楽しめるといういい例ですね、とか思いながら寺に入りました。

本多忠朝の墓

本多忠朝の墓:この辺りで忠朝が戦死したのでここに大坂夏の陣の翌年の1616年に葬られたとのこと。酒封じとして有名です。行った日もおじさんが必死に祈っていました。酒で失敗する人にとっては何としてでも封じてもらいたいんでしょうね。



 次は大坂冬の陣のときに主戦場となった外堀の松屋口から真田丸の方まで歩こうと思い、電車で移動し大坂城の南側へ。まずは地下鉄松屋町駅を降りる。

長堀通

長堀通:ここに堀があったことを伝える唯一のもの。ちょうど堀のあったところだけにこの名前がついています。

松屋口

松屋口:大野治長隊が守っていた松屋口です。堀の中から(豊臣軍側)から南側を撮影してます。

谷町口

谷町口:織田頼長らが守っていた谷町口です。堀の中から(豊臣軍側)から南側を撮影してます。

八丁目口

八丁目口:長宗我部盛親らが守っていた八丁目口(だと思う)です。現在は地名が変わって上本町となっています。堀の中から(豊臣軍側)から南側を撮影してます。ここらへんで盛親公守備していたのね、、、。ってこんなに前線じゃないとは思うけど。

真田丸の後ろ

真田丸の後ろ:木村重成ら守っていた場所です。現在は空堀町という名前がついています。堀の中から(豊臣軍側)から南側を撮影してます。

真田丸

真田丸:現在は真田山公園になっています。真田幸村はここで徳川の大軍を迎え撃った。

三光神社にある真田幸村の銅像

三光神社にある真田幸村の銅像:真田山公園のすぐ近くにあります。前に撮ったけど、なんとなくまた写してみました。こっちの方がいい角度で撮れたかな。

 これで大坂城南側は終了。端から端まで1キロくらいあって疲れました。やっぱりでかいなあ、大坂城。と、いうことで次は電車に乗って、奇襲戦のあった本町橋へ。

本町橋

本町橋:塙団右衛門が蜂須賀軍に奇襲をかけた本町橋です。

 これで一日目は終了。疲れたので、ゆっくり休んで次の日に備えました。


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