林勝久

(はやしかつひさ)

生没年:1581〜1652年/ 身分:山内家の家臣/ 官位(通称、号):右近

姫路城
父・一吉が一豊に仕えた姫路市にある姫路城

 林一吉の息子。一吉は播磨姫路で山内一豊に仕え、度々功があり、山内家の土佐移封後は、土佐窪川一円5千石を与えられた人物。勝久は1604年に一吉が亡くなると、遺領5千石を継ぐ。
 大坂冬の陣に従軍し、豊臣軍の偵察を行い忠義に報告をしている。その際に大坂城を攻撃しようとしたが忠義に止められた。1652年4月16日死亡。墓は高知県高岡郡四万十町茂串町にある。

管理人・・・子孫は代々、中老を務めたそうです。また大坂城を攻撃しようとした際に被弾していますが、大事はありませんでした。また父か勝久かは分かりませんが、山内性を与えられています。

参考文献三百藩家臣人名事典・高知県人名事典

UPDATE 2006年8月4日
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