雨森氏康

(あまもりうじやす)

生没年:1560〜1638年?/ 身分:山内家の家臣/ 官位(通称、号):九右衛門・九大夫

石田三成の像
彦根市古沢町の龍潭寺にある主君・石田三成の像

 石田三成の家臣で、関ヶ原の戦い後、捕らえられ斬首されそうになる。しかし山内一豊の家臣に知り合いがいたため助けられた。そして山内家の家臣となり、大坂冬の陣に従軍する。大坂城攻撃の際に、矢に『雨森九大夫』と自分の名前を書いて放ったところ、豊臣軍の大野半次が、矢に『このような矢は奇特のたしなみで、大坂では珍しいものだ』と書き添えて返してきた。この活躍によって氏康の強弓が敵味方に賞賛される。
 島原の乱に従軍し負傷して土佐柏島まで戻ってくるがそこで1638年2月3日に亡くなった。

管理人・・・知り合いがいて助けられたって一体どうやって話をつけたのか不明です。名字の読み方ですが、近畿にいる雨森は『あまもり』や『あめもり』で近畿から遠い四国や東北では『あめのもり』と読むので、石田三成に仕えていたことから考えて『あまもり』にしました。

参考文献:第二回 雨森一門会記念誌・高知県人名事典

UPDATE 2006年7月18日
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