山口重信

(やまぐちしげのぶ)

生没年:1590〜1615年/ 身分:蟄居中/ 官位(通称、号):伊豆守

山口重信の墓
大阪府東大阪市若江東町6丁目にある重信の墓

 常陸牛久城主・山口重政の長男。1609年に従五位下伊豆守に任ぜられる。1613年に父・重政が大久保忠隣の養女(石川忠義の娘)と重信の縁組を勝手にしたことを咎められ改易され、武蔵の龍穏寺に蟄居させられた。
 1614年の大坂冬の陣で商人に姿を変え、大坂に駆け付け功を立てようとしたが、すでに和議が成立した後だった。翌年の夏の陣では井伊直孝軍に属して参陣し1615年5月6日の若江の戦いで一番首を獲るほど活躍したが、前に出過ぎたために討ち死にしてしまう。法名・大雄院殿傑山宇英大居士。東京都港区南麻布の曹渓寺に葬られた。

管理人・・・写真の墓は33回忌に弟・弘隆が建てたものですが、これにはちょっとした話があります。この墓の向かい側に敵将・木村重成の墓があったのですが、ある時重信の墓が中央から折れ砕けたため、重成の怨念だとみんなが騒ぎ始め、重信の墓を横向きに、重成の墓は後ろ向きにしたそうです。

参考文献:大坂城物語、ほか

UPDATE 2001年6月7日
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