須田長義

(すだながよし)

生没年:1576〜1615年/ 身分:上杉家の家臣/ 官位(通称、号):大炊助

武田信玄の像
須田氏を追い出した甲府駅前にある武田信玄の像

 須田満親の次男。須田氏は信濃須田城を本拠としていたが武田信玄の侵攻で領土を追われ上杉謙信を頼って落ち延び家臣となった。
 長義も上杉家の家臣となり1598年の上杉家会津移封に従い、森山城主となり2万石を与えられる(後に梁川城主に転じている)。関ヶ原の戦いでは1600年8月9日に伊達政宗軍と戦ってこれを破り功をあげた。
 大坂冬の陣に従軍し、鴫野の戦い武田兵庫を討ち取る。1615年1月、徳川秀忠から感状と来国光の太刀を与えられた。1615年6月1日、大坂の陣での傷が悪化し居城で死亡する。

管理人・・・武田兵庫はこの戦いでは死んでないという説もあります。

参考文献戦国人名事典 コンパクト版三百藩家臣人名事典・上杉景勝のすべて・藤堂高虎家臣辞典

UPDATE 2004年1月2日
Copyright (C) 2004 Tikugonokami.