≫
人物一覧≫
【人物の紹介】→
次の武将
|
1598年に上杉家が陸奥会津120万石を与えられた時には、豊臣秀吉の命令で出羽米沢30万石を兼続に与えられる。1600年に徳川家康から上杉家に上洛命令があった時、景勝と兼続はこれを拒否し会津征伐となった。兼続は徳川軍の来襲を待ったが上方での石田三成の挙兵で転進したので、4万もの兵を率いて最上義光に対して猛攻撃を加えたが、長谷堂城の攻防戦の最中に関ヶ原の戦いの結果を知って撤退する。
大坂冬の陣でも鴫野の戦いで戦闘を指揮して豊臣軍を撃退する活躍をする。1619年12月江戸で死亡。米沢市林泉寺に葬られた。兼続は戦だけではなく、たくさんの文化人と交わり、論語などを出版した文武両道の名将として知られている。 管理人・・・主君・上杉景勝よりも有名な兼続さんです。閻魔大王や、伊達政宗との小判での話しなど逸話が多数ありますが、大坂の陣と関係ないため載せませんでした。大坂の陣に関係あるのは四方山話に載せています(また載せる予定)のでそちらを見てください。 UPDATE 2004年1月5日Copyright (C) 2004 Tikugogawa. |
≫
人物一覧≫
【人物の紹介】→
次の武将
|