長尾景広

(ながおかげひろ)

生没年:1583〜1630年/ 身分:上杉家の家臣/ 官位(通称、号):権四郎

長尾景広の墓
山形県米沢市林泉寺1丁目2-3の林泉寺にある長尾景広の墓

 長尾憲景の息子。憲景は上野白井城主で上杉家、武田家、織田家、北条家とその時に勢いがあるものに属していった。景広は北条氏滅亡後は加賀に移り住んだが、1600年7月に上杉家に仕え田中景広と名乗って馬廻組に入り60石を与えられる。
 その後に白井長尾家の者であることが上杉景勝に分かり、1601年の米沢減封の際に彼の命で長尾景広と名乗り1千石を与えられ侍組に属した。
 大坂両陣に従軍し前備を勤める。帰国後にはそれらの功で侍頭に任命され、2千石の領主となった。1622年8月の最上家改易の時には山形城に出張し接収作業と警護の仕事につく。1630年3月27日死亡。墓は米沢市林泉寺1丁目の林泉寺にある。

管理人・・・白井長尾家のやり方は典型的な弱小豪族の生き方って感じがします。

参考文献戦国人名事典 コンパクト版三百藩家臣人名事典

UPDATE 2004年1月6日
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