岩井信能

(いわいのぶよし)

生没年:?〜1620年/ 身分:上杉家の家臣/ 官位(通称、号):民部少輔

飯山城
信能が城主だった長野県飯山市飯山にある飯山城

 岩井満長の息子。岩井氏は信濃岩井城の城主であったが武田信玄の信濃侵攻で追われたのか越後に来て上杉家に仕えた。御館の乱では景勝に味方をして助ける。1581年9月1日、御館の乱の恩賞のもつれから毛利秀広が景勝の側近の山崎秀仙を殺害、しかし信能が秀広を倒した。
 1582年に信濃飯山城主となり飯山町の基礎を築く。1598年に上杉家が会津に移封されると出羽宮代で6000石を領した。大坂冬の陣に従軍。直江兼続のもとで大石綱元・安田能元と共に会津三奉行と呼ばれた。1620年10月14日死亡。

管理人・・・1582年という非常に不安定な時期に最前線の飯山城を任されているので、かなりの人物だったのでしょう。ちなみに毛利秀広が逆上した際に直江兼続の妻の前夫・信綱が巻き添えを食って殺されています。

参考文献上杉景勝のすべて戦国人名事典 コンパクト版

UPDATE 2003年12月21日
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