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【上杉家へ】小野康邦の次男。1579年に武田勝頼から沼田5700貫文と藤田の姓と能登守の官位を与えられた。1582年に武田家が滅ぶと上杉景勝を頼る。それから新発田家征伐、佐渡征伐、小田原征伐などに従軍し、1598年に上杉家に会津に移封されるとそれらの功で大森1万5千石を領した。
大坂冬の陣では秀忠について従軍した。夏の陣では河内方面の軍監として従軍したが、若江の戦いで木村重成と井伊直孝が激突した際、小笠原秀政らが攻めようとするのにそれを止めてしまうという失態を犯す。 1615年に改易された。若江の戦いでの指揮の失敗を責められたとも、同年12月の大坂の陣戦功評議の場で失言があったためとも言われている。1616年7月14日死亡。原因は傷の悪化とも自殺とも言われている。下野西方の実相寺に葬られた。 参考文献:三百藩藩主人名事典・戦国人名事典 コンパクト版・しぶとい戦国武将伝、ほか UPDATE 2004年4月21日Copyright (C) 2004 Tikugogawa. |
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