安井成安

(やすいなりやす)

生没年:1533〜1615年/ 身分:大坂町人/ 官位(通称、号):市左衛門

道頓紀功碑
大阪市の日本橋にある道頓紀功碑

【安井氏の由来】安井定次の子。剃髪後は道頓と名乗った。安井氏は足利氏の一族と言われており、河内・渋川郡(河内・久宝寺村辺りだと言われている)を領し、渋川氏を名乗っていたが、後に播磨の安井に移封され、安井氏を名乗るようになった。

【大坂のために】定次・成安親子は豊臣秀吉が大坂城を築いた時に工事に参加し功があったため城南の地を与えられた。
 1612年に成安は豊臣氏に命じられて、東横堀川から木津川に通じる水路の工事に取りかかった。弟の治兵衛と道卜や支配していた久宝寺村の百姓達の力を借りて工事を進めたが、1615年4月に大坂夏の陣が起こると豊臣家からの恩を返すために大坂に入城し戦死した。

安井道頓の墓
大阪市中央区千日前の三津寺墓地にある安井道頓の墓

【道頓堀】しかし弟達がその跡を継ぎ、1615年11月、運河を完成させた。当初は『新堀』と呼ばれていたが、大坂落城後、大坂を支配した松平忠明が成安の功績を評価して『道頓堀』と名付けた。

管理人・・・大阪の繁華街の一つ、道頓堀の基礎を築いた人です(異説あり)。成安のおかげでみんなが道頓堀に飛び込めるんですね(って飛び込むところじゃないか)。
 成安って本にはよく町人と書いてあるんですが、土豪色が強い感じがします。また松平忠明ですが、成安が大坂に入城した人物にも関わらず、その名前を付けるなんて心の大きな人ですね。大坂の人達を懐柔するためだったかもしれませんが。

参考文献戦国人名事典 コンパクト版、ほか

UPDATE 2002年8月18日
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