十市忠之

(とおちただゆき)

生没年:不詳/ 身分:豊臣軍の一員/ 官位(通称、号):縫殿助

興福寺
奈良市にある興福寺

 大和十市城を拠点していた興福寺大乗院方国民。筒井氏の家臣だったが、筒井定次が伊賀に移封されるとそのまま大和に残り、新しい支配者となった豊臣秀長の家臣となって3千石を与えられた。しかし豊臣家が無嗣改易となったため浪人となる。
 大坂の陣が起こると弟の忠次とともに入城したが、大坂が落城すると逃亡した。その後は不明である。

管理人・・・多分、その後は他の大和衆と同じように大和に帰って帰農するか隠れ住んだかしたんでしょう。あと予想ですが大和郡山の戦いに参加をしていると思います。この戦いでは多数の大和衆が参加していましたから。ちなみに弟の忠次は戦死しています。

参考文献戦国人名事典 コンパクト版

UPDATE 2004年11月26日
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