玉置小平太

(たまきこへいた)

生没年:不詳/ 身分:豊臣家の家臣/ 官位(通称、号):小平太

豊臣秀長の墓(大納言塚)
奈良県大和郡山市箕山町14にある主君・秀長の墓(大納言塚)

 名前は不明。紀伊手取城主・玉置直和の子。玉置家は紀伊の土豪で戦国時代に日高地方で勢力を振るった。1585年に豊臣秀吉の紀州征伐軍が来ると、いち早く恭順したが、同じ土豪の湯川氏によって手取城を落城させられたため、1万石から3千石に領土を削られる。
 小平太は豊臣秀長の家臣となり、のちに秀吉の家臣となった。関ヶ原の戦いで西軍について改易されたため、豊臣秀頼に仕え、大坂の陣で豊臣軍として戦う。その際、旧領の関係から紀州一揆で暗躍していたと思われる。大坂が落城すると脱出し、徳川頼宣に仕えたという。

参考文献戦国人名事典 コンパクト版

UPDATE 2002年8月27日
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