槇島重利

(まきしましげとし)

生没年:不詳/ 身分:豊臣家の家臣/ 官位(通称、号):玄蕃允

一心寺
大阪市天王寺区逢阪2ー8−69にある一心寺

 昭光とも。山城宇治真木島城主・輝元の息子。足利家に仕え、15代将軍・義昭が織田信長によって京都を追い出され各地を放浪した時もそれに付き従った。後に豊臣秀吉に仕え、奏者役(諸事を主人に取次ぐ役職)となる。
 大坂冬の陣が起こると西側を守備。夏の陣では道明寺方面に出陣し奮戦し(道明寺の戦い)、翌日の天王寺・岡山での最終決戦では一心寺と天王寺の間あたりに布陣して戦った。大坂が落城すると脱出し、剃髪して云庵と号する。後に細川忠興の家臣となり1千石を与えられ、1623年に中津留守居役となった。

管理人・・・上の略歴は槇島重利と槇島昭光が同一人物だという前提のもとに書いています。同じ玄蕃を名乗っていて大坂の陣の時に大坂城にいたので同一人物だとは思うんですけど、はっきりした根拠がないです。一族かもしれません。

参考文献大坂の役・細川幽斎忠興のすべて・大日本史料(第十二編15〜20)、ほか

UPDATE 2002年8月30日
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