村山等安

(むらやまとうあん)

生没年:1566〜1619年/ 身分:商人(及び長崎代官)/ 官位(通称、号):?

聖ザビエル天主堂
愛知県犬山市の明治村にある聖ザビエル天主堂

 出身地は安芸か尾張と言われている。洗礼名・アントニオ。天正年間に長崎に移り住んで南蛮菓子屋を営み、次第に長崎で発言力を持った。朝鮮出兵の時に九州に来た豊臣秀吉に長崎惣代として謁見して、秀吉から長崎代官に任ぜられる。
 1602年に長崎奉行となった寺沢広高の代官となって長崎町で貿易の権限を持って富を得た。1616年に台湾に遠征したが失敗している。1619年にキリシタン信者ということを密告された上、大坂の陣の時に豊臣家への内通したという疑惑が浮かび処刑された。

参考文献戦国人名事典 コンパクト版

UPDATE 2001年9月27日
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