藤堂正綱

(とうどうまさつな)

生没年:1590〜1664年/ 身分:藤堂家の家臣/ 官位(通称、号):主殿

南禅寺の三門
正綱が使者として赴いた京都市左京区南禅寺福地町にある南禅寺の三門

 本姓・細井氏。正勝の息子。1601年に父が死亡したため家督を継いだ。大坂冬の陣に従軍したが、1614年12月15日に、切腹を命じられた掘某を庇って戦場を離れ、家族と一緒に領地を去る。夏の陣では藤堂氏勝を頼って藤堂軍の一員として参加し、その戦功で藤堂高虎に帰参を許され改めて2千石を与えられた。
 1617年に藤堂姓を許される。1618年7月14日、京都の南禅寺に大坂戦没者法事の使者として赴いた。1650年に藤堂家を再び去り、1664年4月に死亡する。

管理人・・・1650年になぜ藤堂家を去ったのか、そしてその後にどこで亡くなったのかは分かりません。

参考文献:藤堂高虎家臣辞典

UPDATE 2002年9月18日
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