藤堂正高

(とうどうまさたか)

生没年:1588〜1629年/ 身分:藤堂家の家臣/ 官位(通称、号):内匠助

【人質】藤堂虎高の六男。母は宮崎一郎左衛門の娘。藤堂高虎の異母弟。藤堂高清の実弟。石田三成と徳川家康の対立が深刻となった1600年に高虎から徳川家への人質として江戸に送られた。そこで家康・徳川秀忠に気に入られ、下総国内で3千石を与えられ、内匠助を称するように命じられる。1605年に高虎の息子・高次らが人質として江戸に送られたため帰国した。

伝・藤堂正高の墓
伊賀市上野恵美須町1590の山渓禅寺にある伝・正高の墓

【無許可】 大坂冬の陣では藤堂高吉隊に属して戦ったが、夏の陣では伊賀上野城の留守を命じられる。しかし密かに兵を引き連れて藤堂軍を追い、河内千塚で高虎に参陣を願ったが許されなかった。そのため同じく無断出陣してきた兄・高清と共に八尾の戦いに許可無しで参加し多くの首を挙げたが、認められず罰せられ伊勢三ヶ野村に蟄居させられる。
 1619年2月に罪を許されて、家康から与えられていた下総3千石を返上し、改めて高虎から伊賀猪田で3千石を与えられた。その後、大坂城修築工事などで活躍し、1629年6月27日死亡した。遺骸は上野の山渓寺に葬られる。

管理人・・・津の四天王寺にも分骨されたそうです。

参考文献:藤堂高虎家臣辞典・大坂の役三百藩家臣人名事典

UPDATE 2002年9月17日
Copyright (C) 2002 Tikugonokami.