白井延胤

(しらいのぶたね)

生没年:?〜1639年/ 身分:藤堂家の家臣/ 官位(通称、号):九兵衛

後瀬山城
若狭武田家の居城だった福井県小浜市伏原にある後瀬山城

 若狭の武田家の家臣だった白井政胤の子。1587年に藤堂高虎に仕え、朝鮮出兵・関ヶ原の戦いに従軍し、1607年に500石の領主となった。大坂冬の陣では鉄砲隊を率いて功があり、500石を加増される。夏の陣でも鉄砲隊を率いて従軍した。1628年に南禅寺山門造営の奉行を務める。1639年6月22日死亡。

管理人・・・兄は豊臣秀次の家臣だったのですが。秀次が処罰された際に一緒に処罰されています。

参考文献:藤堂高虎家臣辞典

UPDATE 2002年8月19日
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