野崎家長

(のざきいえなが)

生没年:?〜1643年/ 身分:藤堂家の家臣/ 官位(通称、号):内蔵介

丹波亀山城
家長が普請に関わった京都府亀岡市にある丹波亀山城

 野崎家次の息子。1601年に父と一緒に藤堂高虎に仕える。1606年に300石を与えられ母衣組となった。大坂の陣に足軽大将として従軍する。1635年に父が藤堂家を去ると、彼の石高と合わせて合計2500石の領主となった。1643年に死亡。

管理人・・・土木関係に強かったようで、丹波亀山・伊賀上野・大坂・江戸城などの普請で活躍しています。

参考文献:藤堂高虎家臣辞典

UPDATE 2002年9月29日
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