桃田金平

(ももたきんぺい)

生没年:?〜1615年/ 身分:藤堂家の家臣/ 官位(通称、号):金平

 名前は不明。天王寺・岡山での最終決戦で藤堂軍が大川を渡ろうとして豊臣軍と激しい戦闘となった。この時、金平は先頭に立って戦ったが、眉間に銃弾を受け川に沈んで戦死する。

管理人・・・それから200年後に大川を掃除した時に十文字の鉾先が出てきて「武士の花の数には入らずとも散りなむときは桃も桜も」という歌と金平の名前が刻まれていました。そこで幕府は子孫を探し出して鉾先を渡して金品を贈ったそうです。

参考文献大阪人物辞典

UPDATE 2004年3月10日
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