菊川正保

(きくかわまさやす)

生没年:?〜1668年/ 身分:藤堂家の家臣/ 官位(通称、号):源太郎

伊賀上野城
正保が築城の際に活躍した伊賀上野城

 菊川氏は伊賀の豪族。筒井定次の家臣だったが、1603年から藤堂高虎に仕え250石を与えられた。1608年に藤堂家が伊勢・伊賀に転封されると先に現地に入り、庶務を取り仕切る。伊賀上野城の修築の際、出身地ということを活かして活躍しその功で150石を加増された。
 大坂両陣に従軍し、夏の陣の時では武将の首を獲ったが、他の大名の武士に奪われてしまい、これを恥じて黙っていた。あとでこのことを他の家臣が言い出したため判明したが、それでも正保は黙して語らず、この態度に感じ入った高虎から加増を受けている。1668年死亡。妻は藤堂良勝の娘。

参考文献:藤堂高虎家臣辞典

UPDATE 2002年8月1日
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