市田氏吉

(いちだうじきよ)

生没年:?〜1631年/ 身分:藤堂家の家臣/ 官位(通称、号):十右衛門

松寿院の墓
津市寿町の寒松院にある松寿院の墓

 大和の領主・桑山元晴の家臣だったが、朝鮮出兵後に藤堂高虎の家臣となる。関ヶ原の戦いでは高虎の妻・松寿院への使者として西軍に占拠されていた大坂屋敷に、乞食や野菜売りに変装して潜り込み高虎の言葉を伝えた。しかし帰りに西軍に捕まってしまい投獄されるが、関ヶ原の戦い後に解放される。
 その功で50石を加増され200石となった。大坂両陣では藤堂良勝隊に属して従軍する。1620年に隠居し、1631年6月10日に死亡した。

参考文献:藤堂高虎家臣辞典

UPDATE 2002年7月11日
Copyright (C) 2002 Tikugonokami.