長連房

(ちょうつらふさ)

生没年:?〜1631年/ 身分:藤堂家の家臣/ 官位(通称、号):監物

藤堂高虎の墓
津市寿町の寒松院にある義弟・藤堂高虎の墓

 長連久の息子。藤堂高虎の妻の兄。長氏は但馬の土豪だったが但馬を追い出され、同族の長連竜の元に寄宿していた。1606年に義弟の高虎に招かれ、1500石を賜る。
 大坂冬の陣では江戸屋敷の留守を命じられ、夏の陣も同じように命じられたが、無断で大坂へ向かい、藤堂元則を介して高虎に参陣を願い出た。しかし高虎は許可しなかかったために許可なしのまま戦闘に参加し、陣後、禄を没収されて蟄居させられる。
 1616年1月、高虎の妻の嘆願で蟄居を解かれた。1630年12月、加増されて合計5千石の領主となる。1631年5月8日死亡。

参考文献:藤堂高虎家臣辞典

UPDATE 2002年8月30日
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