横田重量

(よこたしげとも)

生没年:1554〜1635年/ 身分:徳川宗家の家臣/ 官位(通称、号):甚右衛門

高天神城跡
静岡県掛川市下土方嶺向にある高天神城跡

 名は尹松とも。武田家の家臣・十郎兵衛の五男。妻は山県昌景の娘。原虎胤の息子で、十郎兵衛に子がなかったため養子に入ったとも、十郎兵衛が虎胤の息子で横田家に養子に入ったとも伝わる。
 父兄が三方ヶ原の戦い及び長篠の戦いで戦死したため家督を継ぐ。武田信玄・勝頼に仕え、高天神城の戦いなどで功があった。武田家が滅亡すると徳川家康に仕え3000石を与えられる。小牧・長久手の戦い、小田原征伐、関ヶ原の戦いに従軍した。
 大坂冬の陣では木津川口の戦い蜂須賀至鎮が砦を攻めた際、合戦の検視を務める。大坂夏の陣で功があり、2000石の加増を受けた。その後、御持筒頭や御旗奉行に任ぜられる。1634年、徳川家光が上洛の際は甲府城の守備を任された。1625年、武蔵国高麗郡、比企郡、入間郡、下総国結城郡などの内5000石余の知行するよう朱印を賜る。
 1635年7月5日に死亡。法名・道本。東京都台東区蔵前4−16−16にある西福寺の塔頭の一つだった源祟院に葬られた。

管理人・・・重量の大坂の陣での活躍は四方山話の「血気の武士」「進言するころあい」「家康の巡察」「薄着」「行列の混乱を止める」「提案の仕方」「物見の仕方」「寝過ごす」「直孝の武功言上」をご覧下さい。

参考文献大日本史料(第十二編15〜20)寛政重修諸家譜・戦国時代人物事典

UPDATE 2013年10月4日
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