渡辺重綱

(わたなべしげつな)

生没年:1574〜1648年/ 身分:尾張徳川家の家臣/ 官位(通称、号):半蔵

渡辺重綱の墓
愛知県豊田市寺部町2丁目27の守綱寺にある重綱の墓

 渡辺守綱の息子。母は平岩親重の娘。三河国額田郡浦部村で生まれる。1588年、徳川家康に仕え、小田原征伐、関ヶ原の戦いに従軍し戦功があった。1613年、父と共に徳川義直に付けられる。大坂冬の陣では父と共に尾張徳川家の先陣を、夏の陣では老齢の守綱に代わって一人で先陣を務めた。
 1620年に父が亡くなったため、家督を継ぎ三河寺部1万4千石の領主となり、尾張徳川家の重臣として義直の補佐する。1643年に家督を息子・治綱に譲って引退し、隠居料として2千石を与えられた。1648年10月1日死亡。法名・光照院釈道誓。愛知県豊田市の守綱寺に葬られる。

管理人・・・重綱は領内の岩滝・市木・平井村などの農業用水確保のため、周辺の滝から水を引き溜池を造っています。その溜池が完成した際、馬の鞍を投げ入れ「この池の主になれ」と言ったことから鞍ヶ池という名前がつきました。現在は鞍ヶ池公園として整備され豊田市民の憩いの場になっています。

参考文献三百藩家臣人名事典・渡辺守綱と徳川家康

UPDATE 2013年4月30日
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