豊島朝房

(としまともふさ)

生没年:1593〜1649年/ 身分:徳川宗家の家臣/ 官位(通称、号):半之丞

駿府城
朝房が家康と謁見した駿府城

 土岐胤倫の息子。常陸に生まれる。土岐家は常陸江戸ヶ崎城主で先祖が美濃土岐郡にいたので土岐姓を名乗った。胤倫は北条家に仕えていたが小田原征伐の際に城を落とされてしまう。朝房は浪人の子だったが、従兄弟の豊島形部正の取次ぎで駿府城にいた徳川家康と謁見し形部正につけられ、豊島姓を名乗った。
 その後、徳川家康の直参となり1611年に駿河国内で200石を与えられる。大坂の陣では徳川頼宣に従った。1616年に小姓頭に任ぜられ300石を加増される。1619年の紀伊移封に従う(ただし病気のため皆より遅れて紀伊に行った)。1628年に隠居して休卜と号した。1649年8月20日死亡。

管理人・・・資料には「朝房は小田原征伐の後に常陸竜ヶ崎に移り住んだ」となっていますが、小田原征伐が1590年なんで間違いだと思います。
 朝房の孫は八代将軍・吉宗について江戸に行き旗本となっています。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2005年4月15日
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