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【名古屋の殿様】大坂冬の陣に従軍した。1615年4月、浅野幸長の娘と結婚する。この婚礼のため家康が駿府から名古屋に向かったのが大坂に向かう口実となった。この結婚後に木曽福島と美濃国内で加増され62万石となる。大坂夏の陣にも従軍した。1626年に大納言となる。1650年5月7日死亡。愛知県瀬戸市定光寺町の定光寺に葬られた。
ただ甥であり将軍である徳川家光との関係には苦慮しており、1633年に家光が病気の際に名古屋から江戸に向かっている最中に病状が回復したのを聞いて、江戸の屋敷に入ると、それが家光の機嫌を損ねてしまってます。また逆に1634年に家光が上洛する途中で名古屋に寄ることになったので、御殿を建築しますが、突然名古屋を素通りされ、その態度に怒った義直は名古屋城で篭城しようと考えた、など不和だったことが伺える話がいくつか残っています。 以上、御三家の筆頭、尾張徳川家の藩祖・徳川義直さんでした。 参考文献:三百藩藩主人名事典・戦国人名事典 コンパクト版、ほか UPDATE 2005年6月9日Copyright (C) 2005 Tikugogawa. |
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