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【味方の動揺を抑える】大坂の両陣にも出陣し、天王寺・岡山での最終決戦では、味方の後方から謝って発砲があり混乱しかけた際にこれを鎮めている。1616年に上野小幡1万7千石の大名、1617年に常陸笠間3万2千石(内近江国内で2千石)の大名となる。1620年に福島正則が改易されると安藤重信や本多忠政とともに城の受け取りに向かっている。
井伊直政との間にこんな話しがあります。1601年の正月、直政が関ヶ原の戦いでの論功行賞について不満を口にしました。それを直勝は一喝。 「私達譜代の人間はどのような待遇を受けても不満を言うべきではない。それだけの自覚を持たないといけないのだ」 感服した直政は、無理やり文琳の茶入を渡しています。 参考文献:三百藩藩主人名事典・戦国人名事典 コンパクト版、ほか UPDATE 2006年4月15日Copyright (C) 2006 Tikugogawa. |
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