三浦為春

(みうらためはる)

生没年:1573〜1652年/ 身分:駿河徳川家の家臣/ 官位(通称、号):勝兵衛・長門守

加藤清正像
名古屋市中村区中村町木下屋敷22の妙行寺にある加藤清正像

【里見家の旧臣】正木頼忠の息子。母は北条氏隆の娘。相模に生まれる。頼忠が安房に戻った後も、相模に残り氏隆に育てられ14歳の時に安房に戻った。1598年に徳川家康に召し出され3千石を与えられた。その際に姓を正木から先祖の姓である三浦に戻すように命じられる。
 1603年に徳川頼宣の傳役(もりやく)に任じられ、幼い頼宣に代わって彼の領地である常陸水戸で政務を執った。1608年に5千石となる。

【頼宣を支える】頼宣が駿河に移封されると加増され8千石と浜名城主の地位を与えられた。同年、頼宣に加藤清正の娘が嫁ぐ際に肥後まで迎えに行く。大坂夏の陣では頼宣に従って出陣し家康からお褒めの言葉を授かった。1619年の紀伊移封に従い上野山村(現在の貴志川町)に貴志城を築く。1624年に隠居し定環と号した。1652年7月2日死亡。

管理人・・・なんでこんなに出世したかというと家康の側室で頼宣の母であるお万が妹だったからです。
 為春は文化人としても有名で隠居後に仮名草子の『あだ物語』や俳諧集の『犬俤(いぬおもかげ)』などを残しています。

参考文献:和歌山県史・三百藩家臣人名事典戦国人名事典 コンパクト版

UPDATE 2005年4月28日
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