加納直恒

(かのうなおつね)

生没年:1600〜1684年/ 身分:徳川宗家の家臣/ 官位(通称、号):五郎左衛門

二条城
徳川家康と豊臣秀頼が会見を行った京都市中京区二条通堀川西入二条城町541にある二条城

 鈴木直義の次男。母は加納久利の娘。上総に生まれる。大奥で務めていたが、徳川家康の命令で久利の養子となり、家康の小姓となって200石を与えられた。1611年に家康と豊臣秀頼の二条城での会見後、徳川義直徳川頼宣が秀頼を大坂まで送るのに付き従う。
 大坂夏の陣では家康と頼宣に付き従軍した。1619年に駿河国内で100石を加増され、同年の紀伊移封にも従う。1620年に2千石となり、鉄砲同心を預けられた。その後、大番頭・寄列となる。1667年に隠居し快遊と号した。1684年10月4日死亡。

参考文献三百藩家臣人名事典・和歌山県史

UPDATE 2005年4月4日
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