江馬秀次

(えまひでつぐ)

生没年:1601〜1647年/ 身分:徳川宗家の家臣/ 官位(通称、号):与右衛門

 江馬時成の息子。下総に生まれる。江馬氏は飛騨荒城郡内の豪族で、今川家に仕えた。時成も今川家に属したが、今川家の滅亡後は徳川家康に仕え、下総花島に500石を与えられる。
 秀次は父が亡くなった1606年に家督を継ぎ、家康に謁見した。大坂の陣では今切関所の守備につく。1616年に徳川頼宣に付けられ、1619年の紀伊移封にも従い、1500石を与えられた。1647年5月20日死亡。

管理人・・・曽祖父・江馬左京亮秀時は飛騨荒城郡内の豪族だったのに、祖父・加賀守時成は今川義元に仕えていた(桶狭間で戦死)のか理由は不明です。飛騨は武田の力は及んでいたみたいですが、さすがに今川の影響力はなかったと思うので、飛騨を追い出されて義元に仕えたのでしょうか。
 高原諏訪城の江馬氏との関係は不明です。

参考文献:三百藩家臣人名事典戦国人名事典

UPDATE 2005年3月7日
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