雲居

(うんご)

生没年:1582年〜1659年/ 身分:僧侶/ 官位(通称、号):なし

太平寺
雲居が最初に修行した高知県四万十市右山元町にある太平寺

【鉄蔵主】父は土佐一条家の重臣。幼い頃に土佐の太平寺に預けられ、やがて京に行く。妙心寺に入った際に僧になっていた塙直之と知り合い、大坂の陣が起きると鉄蔵主と名を変えて直之の元を訪れ豊臣家と運命を共にすることを約束した。
 だが、これが徳川家に知られ雲居の師匠が捕らえられてしまった。これを知った雲居は自首し師匠に罪はないと訴えると、このことが徳川家康の耳に入り感じ入ったため二人は釈放となった。

【行脚】それから雲居は諸国を行脚し名声が全国に広まる。これを聞いた後水尾天皇からお声がかかったが断っている。
 しかし伊達政宗・忠宗親子の再三の申し出を受け陸奥松島にある瑞巌寺の住職となった。1659年に死亡。その後、大慈円満国師の追号を賜わっている。

瑞巌寺
宮城県宮城郡松島町松島字町内91にある瑞巌寺

管理人・・・雲居が松島に行く時にこんな話しがあります。途中、追いはぎが現れ所持品を奪っただけでは満足せず衣服まで持って行こうとしました。その時、雲居ははっきりと断り「僧の身分で裸にされる屈辱には耐えられない。それなら命を取れ」と迫ります。雲居の言葉に感動した追いはぎは所持品を返し弟子になったということです。さすがは塙団右衛門と一緒に徳川軍と戦おうとした男だけはあります。
 雲居は豊臣軍の作戦会議に参加するつもりだったようですが、軍師としての能力にも長けていたのでしょうか。以上、日本中にその名を知られていた名僧・雲居さんでした。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2002年3月24日
Copyright (C) 2002 Tikugonokami.