月照院

(げっしょういん)

生没年:1577頃〜?/ 身分:松平直政の母/ 官位(通称、号):なし

月照院の墓
島根県松江市外中原町179の月照寺にある月照院の墓

【秀康に見初められる】阿波国麻植郡の豪族・三谷長基の娘。名前はお駒。長基は徳川家と敵対したため国外逃亡し、残されたお駒は京都の二条で遊女となって上巻(あげまき)と名乗った。そこで結城秀康と出会い彼に身請けされ側室となる。1601年、秀康の領地・北庄に向かう途中の近江伊香郡河内で松平直政を生んだ。1607年に秀康が亡くなると髪を剃り月照院と号する。

【斬首】月照院は自分の身分の低さのせいで不遇な扱いを受けている直政のために心を砕き、1614年に松平家の大坂への出陣を知ると「殿は中納言(秀康)の御子にして大御所(徳川家康)の御孫になります。殿の父上は天下の名将でしたが、殿が卑しき者の腹から生まれたからといって父上に劣ると世間が噂するのが腹立たしい」と激励し、直政のために甲冑の下着や馬印を縫い家臣達に「直政殿に付き従いしっかりと警護するように」と命じた。そのおかげで直政は大坂の両陣で戦功を上げ、1万石を与えられた。
 その後や没年は不明だが直政の移封には付き従い直政の領内で没したと思われる。

管理人・・・月照院は遊女ではなく秀康の母の侍女だったという説もあります。いずれにしても身分は高くなく息子の直政は他の兄弟と比べていつもワンランク下の扱いを受けています。

参考文献:続 山陰の武将・日本女性人名辞典

UPDATE 2005年1月8日
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