真田信吉

(さなだのぶよし)

生没年:1593〜1634年/ 身分:信濃上田9万5千石の大名の子/ 官位(通称、号):河内守

真田信吉の墓
群馬県沼田市材木町309の天桂寺にある真田信吉の墓

 真田信之の長男として沼田に生まれる。母は本多忠勝の娘である小松殿。大坂の陣が起こると父の名代として弟の信政と共に出陣し奮戦した。1616年に上野沼田3万石の大名となる。
 沼田城主となった信吉は、用水を整備し、平和を願った鐘を造らせた。1634年11月28日に疱瘡(天然痘の別称。伝染病で高熱を発し、あばたなどの後遺症を残す。)のため死亡する。沼田市材木町の天桂寺に葬られた。妻は酒井忠世の娘。

管理人・・・大坂夏の陣での天王寺・岡山での最終決戦では毛利勝永隊相手に家臣が信吉の身代わりになって銃弾を受けるほどの苦戦をしています。

参考文献三百藩藩主人名事典戦国人名事典 コンパクト版・群馬人国記、ほか

UPDATE 2004年6月11日
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