真田大八

(さなだだいはち)

生没年:1612〜1670年/ 身分:真田幸村の子/ 官位(通称、号):大八

真田大八の墓
宮城県白石市本町の当信寺にある真田大八の墓

【幸村の血筋】真田幸村の次男。1615年5月7日に大坂城を脱出して幸村の一族・三井備後(三井豊後のことか?)の家臣である西村孫之進と吾妻佐渡に守られて、他の姉妹とともに伊達家の重臣・片倉重長の陣に行き保護された。そして重長の居城・白石城に匿われ、成長すると真田四郎兵衛守信と名乗って千石を与えられる。

【身分を偽る】1640年に幕府から守信の家計調査を命じられると、伊達家は『大八は7歳で早世し、守信は真田信尹の子・政信の息子で別人』として提出した。この時に片倉久米之介守信と改名している。この年に二代藩主・伊達忠宗に召されて藩士となり、300石を与えられた。1657年に監察、1663年に武頭となる。老いてからは一貫斎と号した。1670年6月30日死亡。宮城県白石市本町の当信寺に葬られた。

管理人・・・息子の辰信は1712年に大坂の陣から100年も経っていることで真田姓に復姓しています。彼の10代後の幸歓は西洋式の兵術の指南役となっています。あと西村孫之進は『珍しい縁』で出てくる彼のことなんでしょうか、、、?

参考文献奮迅真田幸村―戦国でもっとも強い漢・仙台人名大事典

UPDATE 2005年5月30日
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