伊木遠雄

(いきとおかつ)

生没年:1567〜1615年/ 身分:真田隊の軍監/ 官位(通称、号):七郎右衛門

賤ケ岳古戦場の碑
遠雄が奮戦した賤ケ岳古戦場の碑

 伊木家は平清盛の末裔で、尾張に住んでいたと言われている。豊臣秀吉の近習で、賤ケ岳の戦いに従軍し功があり黄母衣衆に選ばれた。朝鮮出兵にも従軍している。関ヶ原の戦い後に浪人となったが、大坂の陣が起こると大坂に入城し、真田幸村隊の軍監となった。
 真田丸の攻防で徳川軍が苦戦しているのを見て真田幸昌と共に城外に打って出て敵に損害を与えている。夏の陣でも幸村と行動を共にし、道明寺の戦い天王寺・岡山での最終決戦に参陣し戦死した。

管理人・・・幸村の数少ない理解者として有名です。戦死した説の他に5月7日に逃亡したが真野頼包と刺し違えて死んだという説もありますが、頼包には藤堂家に仕えたという話しもあるし。う〜ん、どっちが合ってるのでしょうか。

参考文献戦国人名事典 コンパクト版大坂の役・藤堂高虎家臣辞典・更級郡埴科郡人名辞書

UPDATE 2002年9月1日
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