高須定広

(たかすさだひろ)

生没年:生没年不詳/ 身分:酒井家の家臣/ 官位(通称、号):隼人

 高須時定の息子。高須家の先祖は畑姓を名乗り新田義貞に仕えていたが越前鷹ノ巣で戦死し、子孫は三河に移って鷹巣姓を名乗る。その後、姓を高須とする。高須家が徳川家に仕えた経緯については諸説あるが、松平広忠か徳川家康の代に仕え、やがて家臣の酒井家に仕えるようになった。
 定広も酒井家に仕え、1590年に酒井重忠が武蔵川越に移封された際、500石を与えられた。1601年、重忠が上野厩橋に移封される際には先に厩橋に向かい城普請奉行を命じられる。大坂の両陣に従軍し戦功があった。1629年、息子の定成に家督を譲る。没年は不明だが遺骸は群馬県前橋市三河町の正幸寺に葬られた。

管理人・・・その後、高須家は酒井家の重臣として仕えたそうです。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2012年11月22日
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