酒井忠行

(さかいただゆき)

生没年:1599〜1636年/ 身分:上野善養寺1万5千石の大名の子/ 官位(通称、号):阿波守

酒井忠行の墓
群馬県前橋市の竜海院にある酒井忠行の墓

 酒井忠世の長男。母は榊原康政の娘。江戸に生まれる。大坂の陣に従軍し、夏の陣では天王寺・岡山での最終決戦で首級2つをあげた。1623年に老中となる(異説あり)。1625年に上野板鼻2万石を与えられた。1627年に徳川秀忠と家光に従って上洛して、後水尾天皇が二条城に来る際に迎えに出る。
 1632年に秀忠が亡くなると父に代わって晴儀奏者となった。1633年に1万石を加増される。1636年に父が亡くなったため遺領を相続し合わせて上野厩橋15万石の大名となった。しかしその年の11月17日に亡くなってしまう。群馬県前橋市の竜海院に葬られた。

管理人・・・忠行が厩橋の領主となったのは僅か半年だったのですが、その間に奉行職を新しく作るなどして厩橋藩の基礎の一部を築いています。

参考文献三百藩藩主人名事典

UPDATE 2004年6月17日
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