松平久恒

(まつだいらひさつね)

生没年:1584〜1652年/ 身分:酒井家の家臣/ 官位(通称、号):甚三郎

亀ヶ崎城
山形県酒田市亀ヶ崎1−3−60にある亀ヶ崎城跡

【養子】徳川四天王の一人・酒井忠次の四男で遠江浜松で生まれた。1593年に三河福釜の松平左馬助の養子となったが、左馬助に息子が生まれたので、1600年に奥さんの左馬助の娘を連れて実家に帰る。この際に左馬助の希望で松平姓に変えた。

【出戻り】1614年に兄の酒井家次に従って大坂の陣に参加した。1616年に酒井家の越後高田移封に従ったが、事情があって家を出て松平隠岐守に仕える。その後、家次の息子・忠勝が信濃松代にいた頃に呼び戻されて、1622年の酒井家の出羽庄内移封に従い、そこで2千石の領地と亀ヶ崎城代の地位を与えられた。1629年に家老となった。1652年9月22日死亡。山形県鶴岡市の大督寺に葬られた。

管理人・・・久恒の子孫は一族ということで好待遇を受けています。

参考文献三百藩藩主人名事典

UPDATE 2004年6月8日
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