丹羽正安

(にわまさやす)

生没年:1566〜1635年/ 身分:豊臣家の家臣/ 官位(通称、号):左平太

長久手古戦場碑
愛知県長久手町武蔵塚の古戦場公園にある長久手古戦場碑

 丹羽正明の子。最初、織田信忠に仕えていたが、本能寺の変後は、織田信雄の家臣となり、小牧長久手の戦いで活躍した。その後は豊臣秀吉に仕え馬廻となり1千石を与えられたが、関ヶ原の戦いで西軍につき改易される。
 大坂の陣が起こると大坂に入城し戦ったが、落城したため逃亡した。その後、徳川家康に召しだされて伊勢三重郡西坂部村で1千石を与えられる。家康没後は徳川秀忠に仕え御書院番を勤めた。1635年10月8日死亡。東京都文京区湯島の麒祥院に葬られた。

参考文献戦国人名事典 コンパクト版

UPDATE 2002年4月28日
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