丹羽長正

(にわながまさ)

生没年:1576〜1630年/ 身分:浪人/ 官位(通称、号):備中守

丹羽長正の墓
福井市つくも2−17の総光寺にある丹羽長正の墓(左側のもの)

 長昌とも。丹羽長秀の息子で、丹羽長重の弟。1585年に豊臣秀吉より500石を与えられ、1587年には越前・藤枝5万石と備中守の官位を与えられる。
 1600年の関ヶ原の戦いでは、西軍につき北陸の前田利長に備えた。そのため領土を召し上げられ、豊臣秀頼に仕えたが、大坂の陣が勃発する直前に逃亡し福井に隠遁する。1630年4月4日死亡。子孫は長重の家臣となっている。

管理人・・・大坂の陣と関係ある武将になるかどうか難しいところなので、載せるかどうか迷いましたが、お兄さんの丹羽長重を載せたのでついでに載せてみました。
 なんで長正が逃亡した後、長重のところに行かなかったんでしょうか? 戦争前に逃げたので戦犯にならないから保護を求めても大丈夫だと思うんですが。長正のプライドが許さなかったのか、仲が悪かったのか、仕送りだけはしてもらっていたのか、、、。

参考文献戦国人名事典 コンパクト版三百藩藩主人名事典・若越墓碑めぐり

UPDATE 2002年2月2日
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